「自分は被害者だ」
そう思う瞬間、誰にでもあります。理不尽な上司、雑に扱う友人、家庭の空気、SNSの一言。頑張っているのに報われない。説明しても伝わらない。そんなとき、胸の奥が冷えていく。
ただ、その感覚が長く続くと、いつの間にか人生が“受け身”になっていきます。
何かが起きるたびに傷つき、傷つくたびに世界が怖くなる。気づけば、次の一歩より先に「どうせまた」が口に出る。
今日は、被害者かどうかを裁くための記事ではありません。
被害に遭ったことを軽く扱うつもりもない。
それでも、社会で呼吸をし続けるために「被害者のまま生きる」と「被害に遭った自分を抱えて生きる」の違いを、少しだけ言語化してみます。
まず大前提:被害は現実にある
暴力、DV、ハラスメント、差別。金銭的な搾取。支配。
これらは「気のせい」ではありません。受けた側が悪いわけでもない。
だから、もし今あなたが現在進行形で傷つけられているなら、最優先は安全です。耐える練習より、距離を取る方法を探すほうが先。身近な人、専門機関、公的窓口。頼れるものは遠慮なく使っていいです。
働く人のメンタルヘルス情報なら 厚労省「こころの耳」 も入口になります。
ここから先の話は、「危険は今すぐではないが、ずっとしんどい」「人や社会が怖くて縮こまる」そういう感覚を抱えている人に向けて書きます。
「被害に遭った」と「被害者として生きる」は別物
被害に遭った。これは事実です。
被害者として生きる。これは、役割になっていくことがあります。
役割になると何が起きるか。
世界が単純になります。
相手が悪い、自分は正しい。白黒がつく。苦しさに説明がつく。
不思議な話ですが、人は説明がつくと少し安心します。痛みが消えなくても、意味がつくから。
ただ、その安心には代償があります。
「自分にはどうにもできない」という前提が固まっていく。
そして、社会で生きるうえで一番きついのは、ここです。
“どうにもできない”が増えるほど、行動が減り、選択肢が細り、さらに世界が怖くなる。
被害者の感覚が抜けにくい理由は、意志じゃなく「脳の癖」かもしれない
人は、繰り返し理不尽にさらされると「どうせ無理だ」と学習します。
これは根性の話ではなく、体の反応に近い。
心理学で「学習性無力感」という言葉があります。嫌な状況を避けられない経験が続くと、逃げ道があっても動けなくなる、という説明です。
参考:Wikipedia「学習性無力感」
これ、すごく残酷で、すごく人間的です。
傷ついた側が、さらに動けなくなる。けれど起きる。
だから「被害者意識をやめろ」と言われても、うまくいくわけがない。
必要なのは説教ではなく、回復と設計です。
相手は変えられない。変えられるのは自分。もっと言えば環境
僕も、複雑な家庭環境の中で「愛情のない抑圧」の空気に晒されてきた感覚があります。
大人になってから気づくんです。あれは過去で終わっていない。言い方、距離感、我慢の癖として残っている。
だからこそ思います。
相手を変えようとするほど、人生は相手に支配されます。
相手が変わらない限り、あなたの機嫌も未来も動かない。
それは苦しい。
変えられるのは自分の行動です。
そして、もっと現実的に効くのが、自分の環境です。
環境というのは、部屋だけじゃありません。
会う頻度、連絡手段、話す時間帯、仕事のやり方、関わる人の種類、距離の取り方。
怒りや無力感を引き出す“引き金”を減らすこと。
自分を変えるのが難しい日でも、環境なら少し変えられることがある。ここが救いです。
「被害者から抜ける」ではなく「主導権を1ミリ取り戻す」
いきなり強くならなくていい。
無敵にならなくていい。
主導権を1ミリ取り戻す。それで十分です。
たとえば、こういう小さなこと。
返事を即答しない。
嫌な誘いは「今月は厳しい」で止める。理由を盛りすぎない。
苦手な人の前で無理に笑わない。口数を減らす。
飲み会に行く回数を半分にする。
仕事のチャット通知を切る時間を作る。
些細に見えるかもしれません。
でも、こういう“微差”が、自分の中の地図を塗り替えます。
「世界は全部敵じゃない」
「自分は少し動かせる」
この感覚が戻ってくると、被害者という役割は薄まっていきます。自然に。
被害者のままだと得られるものがある。だから手放しにくい
ここは、きれいごと抜きで言います。
被害者の立場には、得があることがあります。
責任を負わなくて済む。判断を先送りできる。失敗しなくて済む。戦わなくて済む。
これは弱さではなく、防衛です。
ずっと傷ついてきた人ほど、守りたくなる。そういうものです。
ただ、その得は、長期的には高くつきます。
選択しない代わりに、人生のハンドルを手放すから。
手放すのが怖いなら、少しずつでいい。
主導権を取り戻す練習を、生活の中でやる。
社会で生きるための「現実的な心の持ち方」
僕が役に立った考え方を、最後に置いておきます。答えじゃなく道具として。
ひとつ目。
「自分が悪い」と「自分にできることがある」は別だということ。
あなたが悪くなくても、あなたが動ける場所はあります。ここを混ぜない。
ふたつ目。
“正しさ”より“安全”を優先していい。
正論で戦って心が削れるなら、勝っても負けです。距離を取るのは逃げではなく保全。
みっつ目。
信頼できる人は少人数でいい。
広い人間関係より、「自分が壊れない関係」を大事にしたほうが長く生きられます。
そして最後。
「環境を変えられない」と思うときほど、環境を小さく分解する。
住む場所を変えるのが無理なら、机の位置を変える。
転職が無理なら、案件の受け方を変える。
人間関係を断てないなら、頻度を落とす。
変化は、いきなりの革命じゃなくていい。微調整で十分効きます。
君は被害者なのか
被害に遭ったのなら、その痛みは本物です。
忘れなくていい。無理に許さなくていい。
ただ、社会で生きるために、人生を続けるために。
「被害者として生きる」時間を少しずつ短くしていけると、呼吸が楽になります。
相手は変えられない。変えられるのは自分。もっと言えば自分の環境。
今日、主導権を1ミリ取り戻す。
その1ミリが積み上がると、君は“被害者”ではなく、“生き延びてきた人”になっていきます。

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