俳句・短歌・川柳違いと歴史 短く深い表現

俳句1

世の中にはあらゆる「表現機会」があります。

歌を歌う、音楽を奏でる、文字を書く、絵を書く、モノを作る….

古来より、人はその時々の情動を 何かを通して表現する。

その表現手法の一つとして、古来より伝わってきた日本伝統の手法

「俳句・短歌・川柳」について
それぞれの歴史的背景と、仕組みについて勉強がてら記事に起こしてみました。

上の俳句は筆者自作の俳句です。
季語:青い山
5・7・5ではなく、5・8・5になっているので
自由律俳句(wiki)になるのでしょうか?

俳句・短歌・川柳の歴史背景

俳句や川柳(俳諧連歌)は江戸時代(1603年~)
短歌(和歌)は7世紀~(万葉集)としてすでに存在していたそうです。

詳細な歴史年表や時代背後については
専門の方が「書籍」などでまとめられているので
そちらをご参照下さい。

どんな時代●●●●●においても
ユタカであろうとする心意気はあるのだと思います。

農耕作業が忙しい中で
庶民の中でも、何時でも紡ぎだせる こうした表現手法は

心の安らぎや 満足感があったのではないでしょうか?

だからこそ伝えられ、今なおこうして現代にまで生き続けているのでしょう。

喜怒哀楽や歴史の情景を描いた作品に
今もなお●●●●、共感できるのは
人の根本的な情緒は歴史上変わっていない。
事を表していると思います。

俳句・短歌・川柳の違い

それぞれ簡単な表でまとめてみました。何かの参考になれば幸いです。

形式俳句短歌川柳
定型5・7・55・7・5・7・75・7・5
季語必須必須ではない必須ではない
歴史江戸時代 ~
※俳諧連歌
近代以前(明治以前)~
※和歌
江戸時代 ~
※俳諧連歌
備考5・7・5や季語にとらわれない、無季俳句・自由律俳句も存在する。『古今和歌集』をはじめとした、日本文学
定型が俳句や川柳と異なるため区別しやすい
俳句との主な違いは
季語がないことと、主に人物描写が表現されるところ。最近ではダジャレなど幅広く楽しまれるジャンルに発展している。
秋深き 隣(となり)は何を する人ぞ 松尾芭蕉花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に 小野小町いつの世も 暇もてあまし いのちあり 筆者

短い歌

いろんな事柄を整理して、伝えるのはかなりの労力と時間を費やします。
調査、研究などを含めれば、
読む人が限られる分厚い本が完成するでしょう。

感じたことを 短く 深く 表現する手法として
とてもユタカ●●●な表現手法ではないでしょうか?

本記事を読んで下さった皆様も
隙間時間に 何かひとつ 歌ってみてはいかがでしょうか?