無差別殺人に巻き込まれないためにはどうすればいいのか

直近の悲惨な出来事で釧路無差別殺人事件が発生しました。
内容は昼下がりのショッピングモールでの出来事
刃物を持った男がいきなり後ろから走ってきたという何とも恐ろしい出来事です。

こんなの 防ぎようがありません

咄嗟の出来事だけに、パニック状態になり運良く逃げ出せたとしても
それは不幸中の幸いなだけです。危険な状況を打開する術ではありません。

犠牲になった被害者の方々の混乱と無念の怒りを感じずにはいられません。

こんな時どうすればいいのか?未然に防ぐことはできないのか?
個人的な見解を元に考察してみました。
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犯人の心理状態

まず、無差別殺人などのような異常で非情な行為をすること事態、
まともな精神状態ではありません。
と、誰もが思うはずですが、実はこれには誤解があるのだと思います。

まず、まともな精神状態でない行動で言えば
例えば
奇声を発し、目がうつろで、なにふり構わず行動する。

などと言った行動が考えられます。

しかし、今回の事件で言えば

刃物を持った男が、『明確な殺意』を持って
自分より『弱い(弱そうな)人物』を『選別』して襲っています。

ここに犯人側の少しばかりの計画性があると考えられます。
また、こういった無差別殺人の類は

捕まる事を前提に行動を起こしていると考えられます。

ここに、非情で残忍な身勝手さからくるキチガイな計画性が感じ取れます。

つまり犯人の精神状態は、ある種の錯乱状態でありながらも
正常な精神状態を心の片隅に常に維持し続けている矛盾した状態になっていると考えられます。

まともな精神状態だったからこそ、警備員の方々に取り押さえられたとき
両手をあげて白旗を振っていたのです。

防犯対策

ここで本題ですが、この無差別殺人のような突発的な出来事は
未然に防ぐ事ができなかったのでしょうか?

仮に今回のケースではショッピングモールでの出来事ですが

男が刃物を持ってというこの1文からも
不審者であることに間違いはありません。

問題はその不審者を未然に止める方法はなかったのかと言う事です。

ショッピングモールは多くの客が入ります。
不審な人物を見かけたら、警備員の方や常駐の犯罪対策組織が職務質問などで、防御柵を張る事は十分可能です。

ここで重要なのがやはり第三者の監視です。

誰も、今日ショッピングモールで買い物するとき、刃物で襲われる心配などしていません。
しかし、警備の方や犯罪対策組織は違います。
いつ、何があってもおかしくないように、警戒を強化すべきです。

人的リソースの問題などは、ここでは省きます。

大勢の人間が集まるところには、多くの危険があります。

この時に買い物客でもなく、犯罪者でもない
第三者の目線がないと、無法地帯もいいところです。

そして今回、この事件をきっかけに警戒態勢は厳重になるでしょう。
しかし、それはいつも事が起こってからの事後警戒なのです。

事前警戒こそが、今後こうした事件を減らす要素になると確信できます。

だれも、罠が仕掛けられた巣窟に獲物を獲りに行きたいとは思わない。
そんな歯止めの役割こそが防犯対策なのだと思います。

他人から感じる危険信号の直感

最後に、この他人から感じる危険信号について触れてみたいと思います。
例えば、
みなさんが電車に乗ったとき、変な人と鉢合わせになったことはありませんか?

私は何度もあります。

『変な人』という漠然とした感じ方がここで伝えたい事の本質です。

パッと見で『変な人』と感じるのには必ず理由があります。
その自分の直感を信じて下さい。

例えば、なんかこの車両めんどくさい気がする。と思ったら
私は迷わず車両を変えます。

そして、その車両でのちに喧嘩がありました。

このような出来事はまだまだあります。

危ない人に絡まれたこともあります。いきなりジュースを投げつけられ、つかみ合いになり
交番に駆け込んだこともあります。

駆け込んだとき、障害罪で訴えてやる!などと言われましたが
しかし、警察の方も、誰が見ても変なのはあいつだからあなたは被害を受けたとわかるから安心して下さいと
言われました。

結果、クリーニング代を払ってもらってその場は収まりました。

ここで伝えたいのは

『変な人』と言うのは、目で見た瞬間、またはいろんな五感からくる直感の作用で
人体に危険信号を知らせます。

これが、鈍感な人と敏感な人がいます。

鈍感な人は「生きやすい」ようですが非常に危ないです。

だから意識して下さい。意識するだけで身体は勝手に危険信号を受け取ろうと身構えます。
それだけでも直感で危機回避できる機会が増えます。

どんなに腕っぷしの強い人でも、急に後ろから刺されたら最悪命を落とします。

人が多い場所は特に、何が起こるかわからない と
常日頃当事者である私たちも意識していないといけないのかもしれません。