いやぁ、夏風邪にやられました。
世界にギリシャ金融支援の波及が拡がる中、そんなことツユ知らず。
久々の高熱で1週間はゾンビ化一歩手前でした。
これも、お世話になっている方々へ
何もできてない後ろめたい気持ちがそうさせるのか、、、
人間弱って何もやる気が起きないと、暇を持て余して回想とかにふけってしまいます。
何を思い立ったか、古い写真を掘り起し、見つけたのが↓の画像
1988年の画像です。結構きれいに残っているものですね。
※ 今はアルバムから取り出しGooglePhotoへ移行し、クラウド上に保存してあります。
当時飼っていた、マルチーズの「タロウ」可愛かったなぁ。
帰ってくれば「ウゥゥ~~~ワン!!」とか吠えてくるんですよ。
よっぽど嬉しかったんでしょうね。
そんな中ふとこんな写真を見つけました。↓
当時の「ブラウン管」をタロウが必至に見つめているのです。
この写真で「タロウ」はいったい「何を」見ていたのでしょうか?
ふと、気になりました。
ブラウン管越しに移る奇怪な自分の姿かたちを見つめていたのか?
それとも、映っていない何かが見えるのか?
そんなちょっぴりホラーな事を考えながら
考えました。
今さらですが
自分が見ているつもりのものって、ほんの一部なんですよね。
この雑多なブログも
自身の経験や感情から記事に起こしたものがほとんどで
それは一方通行の、いわば一つの考え方です。
稚拙な文章や、語彙不足、ユーモアセンスも
自身の学んできた経緯からくるものと思ってください。(勘弁してください)
よく、amazonなどの読書レビューで共感という言葉が使われますが、
これはあくまで「共感」であって「実感」ではないですよね?
書籍自体にしてもそうです。
一時大盛り上がりを見せた「STAP細胞」の書籍についても
その賛否両論の書籍が共に存在します。
映画でもそうです。
作品の「演出」や「役者」に注目する人もいれば、バックグランドの「撮影セット」に注目する人もいます。
細かい部分で言えば、BGMの「ピアノがイイ」という人と「ベースイイ」という人がいます。
なんとなく見ていても、見えている部分は人によって違います。
良く俯瞰的にモノを見ようとかいう、訓えが流布されますが
その「俯瞰」も人によって違うのでしょうね。
ここで手っ取り早く視野を広げる、私なりの方法をご紹介します。
それは
「他人から視野を借りる」
です。
要は、「ねぇねぇ、これ見てどう思う?」とか聞いてみる。
そして、自分とは違った考えが返ってきたらラッキーです。
自分と同じような意見では、視野があまり変わりません。
いろんな人にいろんな意見を聞く、そしてそれを実行してしまう。
それが視野狭窄からの一つの脱出方法ではないでしょうか?
タロウ、お前いったい何をみていたんだ?
今ではもう聞けません。いつか聞いてみようと思います。
↓ 雑記 ↓
最近のお気に入り作業用BGMはこちらです、まだ聴いたことない方はぜひ
アニメ「血塊戦線」のエンディングテーマです。踊りたくなってきます。
[amazonjs asin=”B00VWHJABA” locale=”JP” title=”シュガーソングとビターステップ(通常盤)”]
▼ Official PV