今の世の中
非常に便利な世の中です。
ですが非常に複雑です。
便利だけど複雑 という
この構造がイマドキのヒトに
見えない鎖となって絡まってきています。
そんな便利な世の中ので生きる筆者を含む怠惰な現代人(イマドキのヒト)について
考察してみました。
進化し続けてきた経済産業の弊害
1950年代後半、戦後の日本で「3種の神器」と呼ばれる、「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」が発表されました。
早朝起きて、窯で米焚いて、洗濯物を手洗いして、、、
すべての家事を手作業でやっていた昔では想像もできないほどの便利さが、
世の中(特に経済発展国)に蔓延しました。
それまでは、身の回りの生活作業だけで一日が終わっていた頃とは
比べものにならないほどの多くの自由な時間を手にしました。
経済が進むにつれ、
ただ生抜く動物としての本能だけではなく
娯楽を求める欲求も高くなりました。
便利さが増えると、欲求も高くなります。
人は
1度満たされた欲求を、低くすることはできません。
これを心理学では
ヘドニック・トレッドミル現象(幸せ感が薄れて、さらに欲望が増すこと)と言うそうです。
初めて社会人になった時の20万円のあのリッチ感を維持できる人はいません。
年収300円稼いでる多くの人は、足りないからと更なる激務をこなします。
便利なはずの現代で、余裕のある生活を送れている人というのは
いったいどのくらいいるのでしょうか?
便利さを追求するあまり、心身ともに疲弊し(または麻痺し)
結果、「怠惰」となるイマドキのヒトは後を絶ちません。
便利さに比例する満たされない欲求
「話せりゃいいじゃん。携帯なんだし。」のフレーズは何処へやら
発表時はオタクの持ち物とされていたスマートフォンも
今じゃ小学生さえ、持つ時代になりました。
高速通信でリアルタイムで知人・友人と話せることが
当たり前にさえなっている子供時代を過ごした後は
きっと
ちょっとやそっとの便利さでは、ありがたみを感じない
欲求が満たされない人が、次々と溢れてきます。
そのヒト達は、どうやって欲求を沈めればいいのでしょうか?
便利さは行動抑止力で思考停止促進力
普段 人は、そこまで熟考しません。
便利な世の中では、その必要がないからです。
テレビからただ流れてくるニュースをそのまま受け取り
世の中はなんて不景気なんだ
と締めくくってそこで終わり。
自分で考えようとしません。
自分で考えようとさえ思いません。
現代人の平均的な運動能力(体力)は
昔に比べ下がっています。
便利な公共の交通機関によって
自分の足で歩く必要がないからです。
便利だから、自分でやるのがめんどくさくなっているのです。
今では、
何かの悩みを検索窓に入力するという行動すらも
めんどくさくなっている風潮があるそうです。
一昔前は
相談相手と言えば、知人、友人と
自分の行動範囲内が限界だったのに。
便利さに慣れてしまったのです。
実は、
世の中に複雑なものなど本当は存在しないと筆者は考えます。
複雑なものも、分解し、単体で考えれば単純なはずだからです。
ですが、いろんな事が便利になると
人は自分で考えたり、行動したりすることを止めてしまいます。
そして疲れやすくなり怠惰になっていくのです。
複雑な経済は、そんな怠惰な現代人だからこそ成り立っています。
社会の役割分担は
俺はトイレ掃除やる。
俺は風呂掃除やる
俺は飯作る。
という、
1つの生活を成り立たせるために細分化されたものです。
ヒトの欲求が増え、多種多様化すれば
その分作業分担もより細かくなります。
細かく、細かく 刻んでいった経済が
今の複雑な経済です。
そうすると人は、隣の畑で何を作っているかなんて
関心を持たなくなります。
別に気にしなくても、生活が成り立つからです。
便利さに甘え、怠惰にならないために
便利な事は素晴らしいことで、感謝すべきことです。
こうしたブログで
なんの経歴も持たない、自身の拙い文章を表現する場所があるのも
便利さの恩恵です。
ですが、便利だからと言って、
自分のすべての事
考え方や行動に至るまでを他人に任せるのは危険です。
複雑で理解できないことが、ある世の中だからこそ
自分で考え行動する習慣を、手放さないようにしないといけない。
そう、実感しています。