無理に引く線引きと引けてない境界線

お久しぶりです。

このサイトを気軽に立ち上げはや7年。
月日は誰でも平等に待ってはくれずに過ぎてい来ます。

一身上の都合をお伝えすれば
子供が産まれ、同時に自身の健康を壊し、はたまた幸せと不運の間にいる
そんな凡凡の人生でございます。

さて、掲題「無理に引く線引きと引けてない境界線」について
天啓のようなただの思いつきを書いていこうと思います。

数字は唯の偶像

身長、体重、年齢
様々に、数字はフワッとした印象をガッっちりとした理論に紐付けしてくれます。

しかし、それは唯の偶像なのだと
最近思うようになりました。

人の感性の可能性は計り知れません。
人によっては身長150cmだろうが大きく見えることや
180cmだろうが小さく見えることだってあります。

気にしている人ほど、数字というものが真実を突きつけます。
気にしていない人にとっては、見えない唯の理屈でしかありません。

例えばお金の価値も人によって様々なように

「100万円」というキーワードは人によっては途轍もないインパクトコピーになりますが
人によっては全く響きません。

数字は自身が定めている、価値基準を突きつけてくる偶像でしかないのです。

求めよさらば与えられん

自ら行動する人には与えられるというこのおなじみのお言葉も
自ら行動しない人には何も与えられないという、こんな幻想に捉えてしまうこともあります。

そんなことはありません。

世に絶対はありません。

行動が全て正しいことではないのです。

待てば官軍も大いにあり得るのがこの世の中です。

動いて不慮の事故に巻き込まれることだってあるかもしれないのです。

要は好きなようにやりゃあぁいいのです。

それが境界線という線引きを自身でしていることに気づくきっかけになります。

境界線という虚線の正体


パラダイムシフトという言葉は自己啓発系の本を読んでいる方なんかは
よく耳にするかもしれません。

そんなかっこいい言葉は置いておいて

自信がないから自分を変えたい。

と誰もが思いますが違います。

今の自分が嫌いだから自分を変えたい。

が大半なのです。

今に満足している人が変わろうとも思いませんし
満足しているんだから帰る必要もありません。

変わりたいというのは境界線に過ぎません。
自分にはできないことができた喜びは
それができない人の特権であるように

初めから線引きができる人に境界線は越えられません。

線を意識して消していきます。

そんな人生を今日も日がな一日、過ごしていきたい。

そんな線引きをしてみました。