しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
そんな言葉を有楽町の相田みつをさんの展示会でまじまじ眺めた記憶があります。
【 幸せ 】について語る音楽、書籍や演説、はたまた このような自己主張…..など
【 幸せ 】でなければいけない
まるで呪文のような
幸せが義務であるかのように強制されていると感じることはありませんか?
例えばこの猫の写真をみて
幸せだと感じますか? 癒されますか?
それは自由です。ですが、私はこっちの方が癒されます。幸せだと感じます。
幸せの形は人によって違います。
だからこそ身近な幸せについてその度合いをちょっとでもあげられれば
この記事が役に立つというものです。
幸せの成分
幸せはいつも心が決める!
なんて息巻いても、心は抽象的な概念でしかありません。
今では知らない人が少ない『セロトニン』という脳内有名物質こそ
幸福度の尺度であると考えられています。
セロトニンを増やすための食事 太陽光を浴びる生活習慣
物質的な事柄とわかれば、世間(人)はすぐ具体的な生活改善に着目します。
つまり幸せの成分の主体は
お金ではなく健康な身体が支える脳内活動であるのだと
誰もが認識しているのです。
幸せは本当に主観的なものか?
上の幸せの成分から考えると、幸せとは
『自分の脳内活動』という
主観的で主体的な自己完結の産物だと言えます。
けど本当にそうでしょうか?
人は他人と自分の幸せを比較します。
取り繕っても、それは事実です。
けど、これはよく間違いでいけないことだと
風潮されます。
人の幸せと比べないで、自分の幸せに気付いてごらん と
耳障りのイイ言葉で
私は、これは真理をついていないと思います。
人は他人が幸せじゃないと、幸せになれない生き物なのです。
人の不幸は蜜の味と声高に言う人がいるでしょう。
実はそれは幸せを感じているのではなく、愉悦を感じているのです。
幸せはセロトニンです。
セロトニンは神経の鎮静作用を促します。
一方『愉悦』は疑似快楽です。
疑似快楽は麻薬と似ていて、エンドルフィンのような麻酔作用を脳に与えます。
例えば、その人がエンドルフィンを求め続けるには
他人が不幸であり続けなければなりません。
ここが重要で、
不幸であり続けられる人など、もはやこの世に存在しえません。
不謹慎ですが、不慮の事故で明日死ぬとしても
生きていた幸せは必ず存在します。
セロトニンが無い人などいません。
これが理屈です。
そして本題です。
『幸せの度合いを上げる方法』は『他人の幸せを多く見つける』事です。
自分の幸せはもちろん大切ですが、そこにプラスしていけるのが他人の幸せです。
地球上、自分以外は全員他人です。家族も恋人、友人も他人です。
他人の幸せを考えている人で、不幸せな人生を送っている人を
私は知りません。
難しく考えすぎないオプティミスト(楽観主義者)のススメ
これを言ってはもともこもないですが
難しく考えないことも重要です。
『幸せ』について『考える暇』があったら『幸せな今を楽しむ』方が
誰が見ても幸せなのではないでしょうか
熱い季節がやってきました。
熱中症に注意して、『幸せじゃなきゃいけない』などと
熱くなり過ぎないように、していきたいものですね。
ではまた